|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
 |
|
|
|
|
|
|
|
 |
 |
 |
|
|
 |
|
|
|
|
|
|
1998
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
| October 27, 98 |
世界のサッカーとの出会い(2) |
新鮮な驚き、ドイツ・ブンデスリーガ
10年以上前は、今ほど選手の移籍などによる交流は行われていなかったので、今よりずっと強く各国のスタイルが明確だった。よく、サッカーの教則本などには、サッカーには、3つのスタイルがあると書かれていた。1.イングランドスタイル:ロビングボールを多用した空中戦が特徴。当たりも強い。2.コンチネンタルスタイル:ショートパスを多用する組織的なサッカーのが特徴。3.南米スタイル:個人技に優れた選手が、ドリブル、フェイントなどを多用して個人で突破するのが特徴。などと書かれていたものだ。
ダイアモンドサッカーで、当初はイングランドサッカーばかり放送していたが、次第にドイツのブンデスリーガの試合も放映するようになった。ブンデスリーガ、その名前に大変、インパクトを覚えたものだ。当時は、バイエルン・ミュンヘンやボルシアMGとかケルンといったチームが強かった。
|
|
|
|
|
|
|
ギュンター・ネッツアーの衝撃
なんと言っても、ブンデスリーガではイングランドリーグとは異質の低いグランダーのパスで攻撃を組み立てていくのに驚かされた。ほとんど、アバウトなロビングボールを使うことなく緻密にパスで攻撃を組み立てていくのは、まったく別の競技のように感じたものだ。その中でも、当時ボルシアMGのMFで将軍と呼ばれていた、ギュンター・ネッツアーという選手は、驚きだった。残念ながら、それほどプレーしている姿を見ることはなかったが、72年のヨーロッパ選手権でのプレーぶりは衝撃的だった。低い直線的な縦へのキラーパスで一気にチャンスを作る。当時、ストライカーとしてボンバー爆撃機と呼ばれていた、ゲルト・ミューラーとのコンビも最高だった。リベロに皇帝ベッケンバウアー、中盤の将軍にネッツアー、前線にボンバーミューラーと縦のラインがしっかり通っていた当時の西ドイツ代表は本当に魅力溢れるサッカーをしていた。
|
|
|
|
悲劇の天才
ところが、ネッツアーが輝きを見せたのは、ほんとにわずかな期間だった。期待された74年の西ドイツワールドカップでは、まったく活躍の機会はなかった。わずかに、一試合、予選リーグの東ドイツ戦に交代出場しただけでその姿を消した。西ドイツは、もう一人のゲームメーカー、オベラーツがいて、彼が中盤の支配者となったのである。当時、マスコミでは二人の比較が盛んにされていた。「複雑なパスで単純な攻撃を作り出す」のがオベラーツ。「単純なパスで、複雑な攻撃を作り出す」のがネッツアーというコメントが出ていたのを今でもよく覚えている。また、性格的にもネッツアーは、天才肌でわがままで、ファッションもモノクロの服しか着ないなどと気むずかしい一面があったようだ。金髪の長髪をなびかせてプレーする姿は、ジョージ・ベストとはまた別のかっこよさを感じたものだ。ネッツアーは、ボルシアMGでプレーした後、スペインのレアル・マドリッドでもプレーしたが、以前の輝きはなかったようだ。本当に一瞬せん光のように輝いたプレーヤーだった。その直線的な早い縦へのスルーパスは、中田のスルーパスにも通じるものがあるかもしれない。受けるプレーヤーの想像力を必要とするところも似ているかもしれない。相手プレーヤーにやさしいパスを出す小野などは、むしろオベラーツに近いタイプかもしれない。
|
|
|
|
|
|
|
|
|
冷たい金属のような鋭さを持つ西ドイツサッカー
今のドイツのサッカーより、昔のブンデスリーガのサッカーの方が、より知的で緻密な鋭利な刃物のような洗練さを持っていたような気がする。今のドイツサッカーは、そうしたインテリジェンスより、むしろゲルマン魂に代表されるような、泥臭い粘り強さばかりが見えてきてしまうのは私だけだろうか。冬でも緑の芝、グランドの脇の雪、その上でのボルシアMGとバイエルン・ミュンヘンの対決。これが、私のドイツ、いや西ドイツのサッカーの原風景だ。知的なサッカーに触発された私だが、まだまだ世界にはまったく別の奥深い世界が残っていたのである。それは、ブラジルサッカーに代表される、南米サッカーだ。
次回へつづく。
|
|