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1998

August
August 2, 98 ワールドカップを終えて雑感(その二)

日本と世界の差、それは個人の能力

    フランスワールドカップにおける日本代表チームに欠けていたものはないか、いろいろなメディアでコメントされている。私が今回のワールドカップを通じて強く感じたのは、組織より何よりも、まず個人が先にあるということだ。個々の選手の能力が低ければ、いくらそれを組織でカバーしようとしても限界がある。今回の日本代表の岡田監督はまさに個人の力のなさを組織でカバーしようとしたのである。しかし、組織でカバーしきれないほど、世界との個人レベルでの差が大きかった。今回の日本の結果は、これに尽きる。

民族的な身体的能力の差は言い訳にすぎない

    個人の能力の話をするときに、よく出るのが民族的な身体能力の差だ。もちろん、日本人にアフリカ選手のような身体的能力を求めても不可能だ。そこで注目するのが、中南米の選手だ。メキシコ、パラグアイなどの選手は、けして身体的に恵まれているわけではない。しかし、ヨーロッパの大柄な選手やアフリカの選手とも対等の戦いをしている。パラグアイの小柄なインディオ系の選手の粘り強いプレーは印象的だ。特に、決勝トーナメントでのフランス戦での、パラグアイの戦いは見事だった。惜しくもPK戦に持ち込む寸前に力尽きたが。徹底的に守りきって、あきらかにPK戦に持ち込んで勝つというサッカーをやり抜いた。

    ブラジル選手は、最近でこそ大柄な選手が増えたが、170cmそこそこの小柄な選手も多い。170cmに満たない、ロベルト・カルロスが身体的能力で劣っていると言われるだろうか、マラドーナもジーコなどの過去のスーパー・スターだって小柄だ。もちろん、民族的な身体的な能力の差はあるが、それが個人の能力のなさへの言い訳にしてはならない。

個人を軽視して、組織を礼賛する日本

    どうも日本人は「組織」という言葉が好きだ。組織に対して、「個人」をあまりに軽視する傾向がある。サッカーは、その国の国民性を正確に反映するものだ。「個人的な能力のなさを、組織で補うのサッカー」がマスコミでも賞賛されてしまうのである。日本人的な「滅私奉公」的な美徳が日本人の琴線をくすぐるのだろう。「FWも献身的に守備をした」とかが評価されてしまうのである。「組織」という美名のもんとに、「個人」をなおざりにしてきた結果が、現在の世界との差であると言える。

組織の基本は、個人

    サッカーをやった経験のある人ならわかると思うが、サッカーがうまい人たちが集まると、たとえそれが初めて一緒にする場合でも、ちゃんとサッカーになるのである。個人のベースがしっかり出来ているので、すぐにチームとしてプレーすることが出来る。要は、個人がきちんと一人一人の役割、プレーの責任を果たす、これが組織なのである。"個人の力のなさを補うのが組織ではない。"だからこそ、欧州、南米の一流国では各国のリーグの選手を大会前のわずかな期間で、召集しても立派にチームとして成り立つのである。これに対して、まだレベルの低い国では、代表チームの選手を長期間集めてトレーニングしないとチームとして成り立たない。ジャマイカや韓国が代表チームを特別に強化しているのがその例である。日本の東京、メキシコオリンピックのチームの強化もその手法である。しかし、こうした代表中心の強化は、結局その場限りで後につながらない。まず、個人の能力を徹底的にアップする、それがリーグのレベル向上になり、代表チームのレベルの強化につながるのである。日本はもう一度、サッカーの原点である個人のレベルアップに真剣に取り組んで欲しい。

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