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1999
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| January 7, 99 |
ヴェルディ転落の構図(その一) |
| ヴェルディ川崎は凋落の一途を辿っている。本当に、JSL後期の読売クラブ時代、さらにJリーグ初期の向かうところ敵なしの栄華を誇っていた頃に比べると、現在の没落ぶりには目を覆うばかりである。今を思えば、読売クラブの頃は、私は熱烈な読売ファンだったが、ヴェルディ川崎になってから、すっかり魅力を感じなくなってしまった。私が嫌いになるのと比例して、ヴェルディも凋落の道を辿っていたのは何かの偶然だろうか。何故、このような状態まで落ち込んでしまったかについては、識者の方々が様々にコメントされているが、その原因について私なりの追求してみたいと思う。 |
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企業チーム全盛のJSL時代
私が、はじめて読売クラブの試合を観戦したのは、今から20年以上前のことになる。というと年がばれてしまう訳だが。今を思うと何故だけよく覚えていないが、読売ランドで当時JSL2部に所属していた読売クラブの試合、おそらく相手は甲府クラブ(現在のヴァンフォーレ甲府)だったと思う。それまで、私は三菱、日立、古河といった財閥系丸の内企業が軒を連ねていたJSL1部の試合を、よく観戦していた。当時のサッカーは、本当にフットボールというより、キックボールというか、キック・アンド・ラッシュ全盛の時代だった。DFがパスを繋ぐプレーなど、考えられなず、「走る日立」といったキャッチフレーズのチームが幅を効かせていたくらいだ。そんなサッカーを見ていた私には、読売クラブのサッカーは、まったく異質のものだったのである。
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ブラジル人助っ人の登場
企業チームの中でも唯一、現セレッソであるヤンマーが、ネルソン吉村こと吉村大志郎や、ジョージ小林などの日系ブラジル選手を入れて、個人技を組み合わせたサッカーを見せていた。また、現ベルマーレの前身である、藤和不動産もあのセルジオ越後氏が、天才的が個人技で一世を風靡した。これは余談となるが、私が今までに見た日本に来たブラジルからの助っ人の中でも、テクニックだけに限れば、セルジオ越後氏はおそらくジーコと並んで、ピカ一だと確信する。セルジオ越後は、あのリベリーノとポジション争いしただけのことはある。残念ながら、日本に来た時は、テクニックはめちゃくちゃあったが、体力が全然なかったのと、周りの日本人選手とのレベル差があまりにありすぎたために活躍は出来なかった。
藤和不動産は、フジタ工業となった後も、あのマリーニョやカルバリオといったブラジル選手を主体となったチーム作りをしていた。そうそう、一時永大産業というチームが中盤に3人のブラジル人トリオを配して彗星のごとく現れた。一時は、天皇杯の決勝まで進んだチームだったが、母体企業の経営不振により一瞬にしてチーム解散となってしまった。ブラジル人トリオの中で、特にジャイロという小柄ドリブラーが鮮烈な印象に残っている。ジャイロは、後に読売クラブでも若きラモスとともに活躍した。
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日本サッカー界の異端児、読売クラブ
ただ、当時のヤンマー、フジタといったブラジルの血を導入したチームでも、テクニックのあるブラジル選手と、それを支える従来のキック・アンド・ラッシュ的な体力だけが取り柄の企業サッカー日本人選手という組み合わせが普通だった。ブラジル人助っ人以外の日本人選手は、他の典型的企業チームと同じだったのである。
ところが、読売クラブの場合、ジョージ与那城などのブラジルからの助っ人だけでなく、日本人プレーヤー自体も大変個性的だったのである。ここが他のチームとの大きな違いだった。そんな訳で、私は、従来のJSLの丸の内企業の体育会系の延長である、サラリーマンサッカーとはまったく異質な読売クラブのサッカーにいっぺんに魅了されてしまった。もともと私自身、根がへそ曲がりで判官贔屓なことも影響しているが、とにかく私には読売のサッカーはとてもかっこよく見えたのである。
次回は、読売クラブがいかに私にとって魅力的なチームだったかについて述べてみたい。(次回へ続く)
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